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神戸地方裁判所 昭和46年(行ウ)5号 判決

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

(原告)

一  別紙目録記載の土地につき、被告が昭和三九年三月二五日した川西市道寺畑満願寺線の道路区域の決定および供用開始の各行政処分が無効であることを確認する。

二  被告は原告に対し、金六〇〇万円を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに第二項につき仮執行の宣言

(被告)

一  本案前

請求の趣旨第一項の訴はこれを却下する。

二  本案

主文同旨の判決

第二  当事者の主張

(原告の請求原因)

一  別紙目録記載の土地(以下本件土地という)につき、昭和三九年三月二五日、川西市長は川西市道寺畑満願寺線の路線認定をし、同日被告は同市道の道路区域の決定並びに供用開始の各行政処分(以下本件行政処分という)をした。

被告は、右行政処分と同時に右道路が川西市の営造物になつたものとして、右道路敷地に当る原告所有の本件土地に直径約三〇センチメートルの水道管を敷設して同地を占有するほか、道路法に基づき第三者に対し、道路占用を許可したのみならず、新たに続々とその許可を与えんとしている。

二  しかし原告は未だかつて被告に対し本件土地につき占有使用権限を付与したことはなく、また同地を被告が道路として使用することや同地につきなされた本件行政処分を同意、承認したこともない。

三  従つて本件行政処分は当然無効のもので、原告の右土地所有権は何らの公用制限を受けるものではない。

しかしながら原告は、右行政処分の無効確認を受けなければ、右土地が公物として前記のように一般使用、特別使用に供せられるべく、従つて単なる所有権の確認等の訴によつては目的を達することができない。

四  よつて原告は被告に対し、本件行政処分の無効確認を求め、かつ昭和四三年二月一〇日以降昭和四六年二月九日までの本件土地占拠による一年二〇〇万円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

(被告の本案前の抗弁)

一  原告には本件無効確認を求める法律上の利益がない。

本件寺畑満願寺線(以下本件路線という)は、川西市花屋敷地区から満願寺地区に通ずる幹線道路であるが、この道路自体は大正九年頃川西市の前身川西村および多田村の村道として認定され、道路として供用開始されているもので、昭和三九年三月二五日の川西市長の道路認定並びに被告の本件行政処分は、右道路の引継ぎのための路線名変更および供用開始にすぎない。

右道路は、既に大正年代より川西村、多田村の村道であり、川西村が川西町になり、多田村、川西町が合併して川西市となり、これらの町道、村道が川西市道になつたものであるから、本件行政処分の無効確認を求めても原告には何ら法律上の利益はない。

二  また、かかる原告の地位は現在の法律関係に関する訴によつても目的を達することができるから、原告は行訴法上無効確認の訴の原告適格を有しない。

すなわち、原告は、本件土地は公物として一般または特別使用されているからこれを差止めるため本件処分の無効確認を求める必要があるというが、これらの一般、特別使用を差止めるには、例えば本件土地所有権確認並びに妨害排除請求の訴をもつてその目的を達し得るのであり、これによつてその不利益を排除することができるのであるから、原告は本件処分の無効確認の訴につき原告適格を欠くものである。

(請求原因に対する答弁)

一  請求原因一項中、川西市長が昭和三九年三月二五日本件路線の認定をし、被告が同日本件行政処分をしたこと、被告が右道路の敷地である本件土地に水道管の設置をし、右土地を道路として占有管理していること、本件土地が原告の所有名義となつていることは認める。

二  同二項は否認する。

三  同三項は争う。

(被告の主張)

一  本件路線は、川西市西部の台地の住宅地、花屋敷一丁目から満願寺に通ずる川西市一級市道で、花屋敷地区と多田満願寺地区との間に宝〓市地区があつて宝〓市道がある。

そこで本件土地は、同地のうち別紙目録1ないし3(以下本件1ないし3の土地という)を花屋敷地区路線部に、同目録4ないし10(以下本件4ないし10の土地という)を多田満願寺地区路線部にそれぞれ分けることができる。

二  川西村は大正一四年一一月川西町となり、川西町は多田村その他と合併して昭和二九年八月一日川西市となつたものであり、川西村の村道は川西町の町道に、同町道は川西市道へと、また多田村の村道は川西市道へとそれぞれ引継がれた。

そして前記のとおり、昭和三九年三月二五日川西市市長がした路線の認定および被告のした本件行政処分は後記花屋敷地区路線および多田満願寺地区路線の引継ぎ(路線名変更)の認定および供用開始にすぎない。

三  花屋敷地区路線について

(一) 右路線は、川西村において大正九年路線の認定がなされ、適法な手続のもとで同年四月一日供用開始がなされたものであるが、同年、川西村は住宅地として当時開発発展途上にあつた花屋敷地区の開発のため一部村道を新設拡張し、一部村道を変更した。

これより先大正八年、桃園温泉土地株式会社は、花屋敷地区内の本件1ないし3の土地を分筆のうえ買収し、道路を新設して大正九年一二月四日頃或は遅くとも大正一〇年七月二九日頃川西村に提供したものであり、右提供の法律上の性質は、川西村が村道として占有管理するのに同意したもので、換言すれば、右会社が新設した道路を私人としては管理ができないため公共団体たる川西村に、寄附或は無償譲渡、もしくは移管したものである。

そして右提供により川西村長および川西村は右土地につき路線の認定および供用開始をそれぞれしたものである。

(二) 本件1ないし3の土地について川西村が道路敷として権限を取得したことは次の事実から明らかである。

1 大正九年一二月四日川西村村会では花屋敷(寺畑)地区の村道三〇一号線をのぞく第二九〇、第二九三、第二九四、第三〇二各号線および第四五二号線の付近が住宅地に変じ、右各宅地の経営者において道路を新設或は拡張して最近村道に編入の予定をし、右路線は交通杜絶して存置する必要が認められなくなつたので、右路線を廃止することを決定し、これに基づき川西村村長は大正一〇年七月二九日右路線の廃止の告示をしているのであり、このように川西村が第四五二号線を廃止していることによると、前記桃園温泉土地株式会社の道路の新設、川西村への提供がうかがわれる。

2 右提供に基づき本件1ないし3の土地につき花屋敷地区路線の認定および供用開始がなされ、以後川西村は村道としてこれを占有管理し、川西町ついで被告はそれぞれ町道および市道として占有管理してきたが、原告はこれまで何ら異議を申立てず、旧商号新花屋敷温泉土地株式会社の名で川西村に対し、大正一三年一二月二七日と昭和三年一月二七日の二回、花屋敷地区路線につき、無軌道電車事業のため占用許可の申請をし、その許可を受けている。

右許可申請行為は、本件1ないし3の土地についての右花屋敷地区路線の認定、供用開始につき原告が同意し、右認定、供用開始が有効になされたことを前提とするものである。

3 被告は、本件土地については道路敷としていずれも租税を免除しており、記録上では、本件2の土地については昭和六年から、同1、3の各土地については昭和七年から、また本件4ないし10の土地については昭和六年一二月から租税を免除している。

四  多田満願寺地区路線について

右路線は花屋敷地区路線の建設とほぼ同時に川辺郡多田村地区の村道として一部村道を廃止、変更し、一部新設したものである。

すなわち、大正九年三月三一日多田村村長が西万年阪東万年阪から川西村に達する間の路線一三号のイ線の路線認定をし、同日同村会の議決を経て川辺郡長が同年四月一日右認定許可をした。

右一三号のイ線は昭和六年八月六日廃止され、万年阪線一七号線が新設され路線の変更がなされたものであり、この路線が現在の多田満願寺地区路線であつて川西市に承継された。

右路線の一部廃止変更がなされ一部新設された際、廃止された村道である西万年阪八の七の土地を、多田村は原告に無償譲渡(払下)し、原告はその対価として本件4ないし10の土地を多田村に対し無償譲渡したか或は右両者が各所有にかかる右各土地を交換したものであり、そうでないとしても原告は本件4ないし10の土地を多田村が道路として使用することにつき同意し多田村に移管したものである。

このため多田村および被告は本件4ないし10の土地を自己所有の道路として占有管理してきたものであり、前記のとおり右土地につき租税を免除している。

五  仮に以上の主張が認められないとしても、花屋敷地区路線については大正一〇年七月二九日以降、川西村、川西町、被告が、多田満願寺地区路線については大正九年四月一日以降多田村、被告がそれぞれ公共の用に供する自己所有の道路として、何人からの異議もなく(原告についていえば昭和五、六年頃から何の異議も述べなかつた)平穏かつ公然に占有管理してきたものであり、従つて川西村、多田村の地位を承継した被告は、その道路敷である本件土地の所有権を時効により取得したものであり、少なくとも道路として使用する占有権並びに使用権を時効取得した。

(被告の右主張に対する原告の認否)

一  被告の主張第三項中、桃園温泉土地株式会社が本件1ないし3の土地を道路に築造して川西村に提供したことや道路として占有管理することにつき同意したことはない。

右の如き行為がなされていれば、寄附採納願および村議会の採納決議が存在する筈であるのにこれがないし、川西村が右土地につき任意買収交渉したとか強制収用手続をとつたことをうかがわせる事実も絶無だからである。

二  同第四項中、本件4ないし10の土地につき原告が多田村に譲渡したり道路として使用することにつき同意したことはない。

三  寺畑満願寺線は、宝〓市道一三一四号線と境を接して接続するもと無軌道電車の専用軌道敷であつた。

四  時効の抗弁は否認する。

昭和三九年三月二五日以前において、本件土地につき道路区域の決定がなされたことはなく、従つてそれ以前に被告において同地を占有した事実はない。

第三  立証(省略)

理由

第一  被告の本案前の抗弁について

被告は、原告に本件行政処分の無効確認を求める法律上の利益がないとの主張し、なるほど昭和三九年三月二五日、川西市長が本件路線の認定をし、被告が本件土地につき本件行政処分をしたことは当事者間に争いがなく、証人森沢修二の証言により真正に成立したと認められる乙第二〇、第二一号証、証人上松石根の各証言によると本件行政処分および川西市長のなした本件路線の認定は、右当時すでに川西市道となつていた路線につき、路線の起点、終点、巾員は変更せずに川西市の前身たる川西村、多田村当時から存在する旧路線名を統一して市道として引継ぐためなされたものにすぎないことが認められるけれども、右各書証によると、本件路線の認定とともに、同路線の道路として供用開始の効力が生じ、かつ旧路線の供用は廃止されたことが認められるのであるから、原告がその所有にかかるものであると主張する本件土地についてなされた本件行政処分が単に旧路線の引継ぎのためになされたものであるにしてもこれと同時に旧路線も廃止された以上、原告は本件行政処分につき無効確認を求める法律上の利益があるというべく、従つて被告の右主張は採用しない。

被告は、原告が現在の法律関係の訴によつて本件行政処分による不利益を排除できるから、その無効確認を求める原告適格がないと主張するが、行訴法上無効等確認の訴の利益は、係争処分の後続処分によつて原告に損害が生じる危険性が存するため、これらの処分の発動前においてその不法な状態を解消し、これらの処分により生じる損害を未然に防止する予防利益がある場合にも認められるものと解されるところ、被告が本件土地を川西市道として占有管理していることは当事者間に争いがなく、被告が同地につき道路法に基づき道路占用の許可を第三者に与ええつつあることは弁論の全趣旨によつて認められるのであつて、この事実によれば、原告には被告の第三者に対する右占用許可により損害が生じる危険がありこれを阻止する予防利益があるということができ、従つて原告は本件行政処分の無効確認の訴につき原告適格があるというべきである。

よつて被告の本案前の抗弁は採用しない。

第二  本案について

一  本件行政処分無効確認請求について

(一)  本件土地が登記簿上原告所有名義であること、右土地が現在本件路線の敷地であることは当事者間に争いがない。

成立に争いのない乙第四一、第四二各号証、同第一ないし第一〇号証、証人上松石根の証言、弁論の全趣旨によると、右道路は川西市の南西部花屋敷一丁目から宝〓市道を経て満願寺に通ずるいわゆる阪急沿線北部の住宅地を通過する幹線道路であること、右道路は宝〓市道をはさんで花屋敷地区路線部と多田満願寺地区路線部とにわけることができ、本件1ないし3の土地は前者の路線の同4ないし10の土地は後者の路線の各敷地の一部に当ること、川西村は大正一四年川西町となり、同町は多田町外一村と合併して昭和二九年八月一日川西市となつたこと、以上の事実が認められる。

(二)  花屋敷地区路線について

前掲乙第一ないし第三号証、同第四一号証、証人森沢修二の証言により真正に成立したと認められる乙第一一ないし第一六号証、同第三八号証、成立に争いがない同第三四、三五号証、同第四四号証、第四七号証、その形式および趣旨により公務員が職務上作成したと認められるから真正な公文書と認められる同第二四ないし第二六号証(同第四〇号証の一ないし三と各同じ)、証人上松石根、同森沢修二、同奥田源次郎の各証言によると、川西村では、旧道路法(大正八年四月一一日法律第五八号)が大正九年四月一日施行されたことに伴い、右同日、川西村字釜割谷一番の九先より同字北ノ山一八番地先(いずれも当時の地名)の路線第四五二号線その外につき、同村市長が路線の認定を、川西村が道路区域の決定をし、同日より供用を開始したこと、ところが川西村長は、大正九年一二月四日、川西村村会に対し、「第四五二号線外の路線の付近一帯が住宅地に変じ、土地経営者において道路を新設または拡張し最近村道に編入の予定にして、右路線は交通壮絶し存置する必要を認めない」旨の理由で、右各路線の全部または一部(第四五二号線については、起点は変らず、字北ノ山四番地先から一八番地先まで)の廃止を諮問して、これが可決されていること、川西村長はこれに基づき大正一〇年七月二八日右第四五二号線の路線の一部を廃止する旨告示していること、当時付近の土地経営者によつて道路が新設拡張され、川西村はこれら道路を第四五二号線の廃止された路線部分に代るものとして供用開始したが、原告主張の本件1ないし3の土地は、前記の如く北ノ山四番地先より一八番地先まで新設された道路の敷地の一部であり、川西村は右新設道路につき村道として占有管理を始め、川西町、ついで被告が順次引継ぎ町道についで市道として(花屋敷地区路線)占有管理してきたこと、本件1ないし3の土地は、大正八年一〇月桃園温泉土地株式会社が所有権取得したもので、これを原告の前身(旧商号)たる日本無軌道電車株式会社が昭和四年一〇月九日売買によりその所有名義人となつたが、同会社の更に前身である新花屋敷温泉土地株式会社は、大正一三年一二月および昭和三年一月、前記第四五二号線の一部廃止後一部新設された川西村道(当時花屋敷路線との名称)につき、無軌道電車運転のため道路使用の許可を申請して許可されていること、桃園温泉土地株式会社と合併して本件1ないし3の土地の所有名義人となつた花屋敷土地株式会社は、右第四五二号線の一部廃止後新設された道路の敷地である本件1ないし3の土地について、昭和二年六月九日元番より分割する旨の申請を所轄の税務署長に対してなし、これにより分割がなされていること、本件1および3の土地については、日本無軌道電車株式会社より昭和七年一月免租地成の申告がなされ、その後結局道路管理として租税免除の措置がとられていること、大正八、九年当時は花屋敷地区や多田地区では土地経営者による土地開発が盛んであり、このため土地経営者が道路の新設または拡張をしてこれが村道に提供されることが行われていたこと、本件寺畑満願寺路線の敷地については、未だ登記簿上私人名義の土地があり、現在被告において登記簿上も該私人による寄付名目でその承諾のもとに市道に切換えるなど道路整理中であつて、この作業は順調に行われ、また、川西村、多田村、多田村当時以来被告が道路として占有管理している本件道路については、現在まで他に異議、故障の申出はないこと、以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

右みてきた、本件1ないし3の土地についての租税免除の点、原告の前身たる新花屋敷温泉土地株式会社に対する道路使用許可がなされている点、大正八、九年当時花屋敷地区、多田地区で土地経営者による道路の新設、拡張およびそれの村道への編入が行われている点その他の認定事実を破棄すると、花屋敷地区にある本件1ないし3の土地は、遅くとも前記第四五二号線の一部廃止につき川西村村会が可決の議決を経て右廃止が川西村長により告示された大正一〇年七月二八日頃には、当時の右1ないし3の土地を所有していた花屋敷土地株式会社(桃園温泉土地株式会社の後身)において川西村に対し、同村が村道として占有管理することに同意していたことを推認することができる(本件1ないし3の土地につき、右会社が川西村に寄附その他により所有権譲渡した旨の被告の主張事実については、前記租税免除の事実や乙第三四、第三五号証に対比すると、前記認定事実をもつても直ちに採用できず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない)。

なお、成立に争いのない甲第一号証、乙第二六号証(同第四〇号証の三)および、同第四七号証中本件1ないし3の土地の地目を軌道敷地とする記載部分は、必ずしも右認定を妨げるものではない。ことに右乙第二六号証(同第四〇号証の三)によると、本件係争全土地のうち本件2の土地のみが、道路敷地としてではなく、軌道敷地として租税免除となつたかの如く窺えるけれども、仮にそうであるとしても、そのことは、前顕各証拠を総合すれば、右土地を道路敷地として川西村において占有管理することに所有者が同意していたことの反証とはならない。

(三)  多田満願寺地区路線について

前掲乙第四ないし第一一号証、成立に争いのない同第一九号証の一、二、同第二三号証、同第三九号証、甲第三号証、証人上松石根、同森沢修二の各証言とこれにより真正に成立したと認められる乙第一七、一八号証、同第二二号証、その形式および趣旨により公務員が職務上作成した公文書であるから真正に成立したと認められる同第二七ないし第三三号証(同第四〇号証の四ないし一〇と各同じもの)を併せ考えると、大正九年三月三一日川辺郡多田村長が同村村会の諮問を経て、西万年阪東万年阪から川西村に達する間の路線一三号のイ線につき路線の認定をし、同年四月一日川辺郡長がこれを認可したこと、右一三号のイ線は、昭和六年八月六日一部(満願寺字西万年阪一二番地先より川西町境界に至る延長二六〇間)廃止され、一三号イ線は万年阪線と名称変更され、満願寺字西万年阪八番の一地先より同字東万年阪三番地先に至るこの延長二〇五間二を新設して多田村により供用開始されたが右新設された路線が多田満願寺地区路線であり、本件4ないし10の土地は右新設道路の敷地であること、右一部廃止された村道の一部であり、本件6の土地に隣接する川西市満願寺字西万年阪八の七(二九平方メートル)の土地を、原告は昭和七年八月二六日払下を受けていること、前記道路の新設以降多田村ついで被告は、これを多田満願寺路線道路として占有管理してきたが、他よりこれにつき何ら異議を述べられたことはなく、原告自身も、大正八年その前身である能勢口土地株式会社当時に本件4ないし10の土地を取得して以来昭和四六年一月当時まで異議を述べたこともなく、また右各土地についてはいずれも昭和六年一二月頃道路敷地として租税免除の措置がとられ、免税されていること、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。

右事実によると、原告は、本件4ないし10の土地を、前記道路の新設がなされた昭和六年中には多田満願寺地区路線の道路敷地として多田村において占有管理することにつき同意を与えたものと推認することができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

なお、被告は、原告所有名義の本件4ないし10の土地は、前記の如く原告が払下を受けた西万年阪八の七の土地と交換されたか、或は多田村に無償譲渡された旨主張するが、前認定の租税免除の事実に照らし、この主張を認めさせるに足る証拠はない。

(四)  右のようにみてくると、本件1ないし3の土地および4ないし10の土地は、花屋敷土地株式会社および原告がそれぞれ大正一〇年七月頃および昭和六年に、花屋敷地区路線および多田満願寺地区路線の道路敷地として川西村および多田村が各占有管理することにつき、右各村に対し同意の意思表示をしたものであるから、当時施行されていた旧道路法においても、川西村および多田村は、それぞれ本件1ないし3の土地、同4ないし10の土地につき権原に基づき村道として使用し得る権能を有していたもので、従つてまた右各村の地位を承認した被告は、右権原、権能を取得したものであるというべきである。

従つてまた、原告は本件1ないし3の土地につき昭和四年所有権を取得したが、同所有権は道路としての公用制限を受けるもので、これに反する私権の行使が制限されたものであるということになる(旧道路法六条、道路法四条)。

そうすると、その余につき判断するまでもなく被告が本件土地について市道として使用する権原を有しないことを理由に、右土地に対する本件行政処分(同処分が花屋敷地区路線および多田満願寺地区路線の名称変更、統一引継ぎのためのものにすぎないことは前記のとおりである)が無効であることの確認を求める原告の請求は理由がないといわなければならない。

二  損害賠償請求について

被告が本件土地を本件路線の道路敷として占有使用していることは当事者間に争いがないが、四項で認定した如く、被告は本件土地につき本件路線の道路敷として使用占有する権原、権能を有するのであるから被告の右占有使用は適法であり、従つて被告に対し右占有使用による賃料相当損害金の支払を求める原告の請求は理由がないこととなる。

第三  よつて原告の本訴請求はいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、行訴法七条により、主文のとおり判決する。

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